衆議院-安全保障委員会 2018年(平成30年)04月10日
 (国会会議録検索システムより抜粋) ※この質疑の動画はこちら




○本多委員 私、この安全保障委員会に、昨年当選をして、来ましてから、小野寺大臣に二回、情報の出し方について質問をさせていただきました。それは、最初の質問のときには、日報問題、私は決して特別監察の結果に納得をしていないということを申し上げました。小野寺大臣からは、今後似たようなことが起こらないようにするという答弁にとどまりましたけれども。  そしてもう一つは、三月に森友学園の問題が起こってから、全ての委員会で我が党の議員が、それぞれの省庁で似たようなことがまさかないですよねという確認をしたときも、そのようなことはないし、しっかりと、今後、情報の出し方をやっていくという御答弁をいただきました。  残念ながら、それを大きく裏切られるような事態が、今回、次々と明らかになっている。きょうもまた新たな文書が明らかになった。まさに今報告をされたことについて、質問がなかなかできにくいわけです。本当に次々と明らかになってくる状況。何か情報を出しているようにおっしゃっていますけれども、私は、この、一カ月も防衛省内で準備をしてきた、そして三月三十一日に、非常に遅くなって、小野寺大臣に報告があったということを言っている、出し方としては非常に不適切だと思います。  なぜ、これは一回の報告で、四月二日に全て明らかにならないで、四月四日、そしてその後空自、こういうふうに五月雨式で情報が出てくる形になったのか。私は幾つか問題点があると思うんですけれども、三月のこの報告のおくれ、そしてもちろん、去年の情報の隠蔽。しかし、この四月に入ってからの小野寺大臣の説明の仕方、こんな説明を実力組織である自衛隊をつかさどる防衛大臣にさせている今の状況、私は非常におかしいと思うんですけれども、大臣はどう考えますか。

○小野寺国務大臣 このような文書の管理を含め、今起きている事案に関しては、防衛省・自衛隊として深く反省すべきことなんだと思っております。  ただ、今回のイラクの日報の文書が初めに発見される過程というのは、昨年の七月二十八日に、南スーダンの日報問題を契機に、文書の一元管理をしっかりしよう、この日報にかかわるような文書の一元管理をしっかりしようということで、統幕の参事官室に管理をするという方向がなされ、それに向けてさまざまな準備が行われ、そして今、その作業を進めているということでありますが、その作業を進める過程の中で、まずイラクの日報というのが発見されたということ、これが事実であります。  そして、私のところに、今、本多委員の方からもお話がありましたが、報告があったのは、三月の三十一日、土曜日の午前中だったと覚えておりますが、その際、私は確認をさせていただき、土曜日のことですから、月曜日、四月二日に公表したということになります。  それ以降、実は、私はやはり、このような文書を、とにかくうみを出し切るように、しっかり日報を集め、そしてまた、それを私どもとして公表する中で、国会や国民の皆さんにお知らせをすることが大切だ、今、まず、何かわかったら、すぐに一報としてお知らせをするということが大切だと考えております。  昨日は、南スーダンの文書が情報本部にあったということ、これは昼の段階で私に報告がありました。ちょうど委員会をやっていたので、その昼ということですから、すぐに公表するにはしっかりとした公表文書をつくってほしいという指示をいたしまして、昨日の参議院の決算委員会の中で速やかに公表させていただきました。  これからも、私ども、この文書に関して、わかった問題につきましては速やかに公表させていただき、そしてまた、しっかりとその管理について指示をしていきたい、そのように思っております。

○本多委員 いや、余り質問に答えていただいていないんですが。  では、確認を具体的にしたいんです。三月三十一日に大臣が説明を受けたときは、紙を官僚は持ってきて説明を受けましたか。

○小野寺国務大臣 三十一日の午前中、ちょうどその日、土曜日ですから、私が部隊視察に行こうと準備して役所にいたときに、ちょっと報告事項ということでありましたが、何か正確ないろいろな用紙があったような記憶はないんですが、ちょっと済みません、記憶をたどってみます。

○本多委員 こんな大事なことの報告を、どこか別用で行かれる途中の大臣に紙なしで、立ち話で報告したという事実でいいんですか。

○小野寺国務大臣 当然、出張に行く前、役所におりますが、そのとき、実は私、この仕事についてから、土日もかなり出勤をしております。担当者も、土曜日に私が出勤しているのを知っておりますので、出勤していることを知って、来たというふうに覚えております。  ですから、大臣室で報告を受けました。そのときは、イラクの日報が陸自の研究本部とそれから衛生部にあったという簡単な紙があって、それを示されたように記憶をしております。

○本多委員 私の事前のレクでは、そのとき使った紙を見せてくれと言ったら、これを持ってきたんですよ。なぜか四月二日付になっていて、おかしいんですけれども、ここには衛生部とも情報本部とも入っていないんですけれども、本当にこれなのかと。  なぜここを、私、こんな紙で大臣に説明したらおかしいと思ったかというと、四月四日に我々野党に最初に出した紙、二枚紙だったんですよ。これでも、いやいや、こんな大きなことを説明する紙としていかがなものかなと思ったんですが、我々野党に説明する紙よりも短い紙で大臣に、一枚紙で報告したんですか。

○小野寺国務大臣 きょう、委員は参考人の登録をしていないので、私が答えることになるんですが、今の、私がそのとき説明を受けたのがどのようなものかというのは、ちょっと私もうろ覚えですので、また担当の方から説明をさせていきたいと思います。  いずれにしても、そのとき報告を受けて、これはやはり国会に説明していた内容とは違うということでありますし、また、たしか昨年、南スーダンの日報の議論のときに、このイラクの日報のことも議論になっていたというのを思い起こしましたので、これは大変重要な問題だなというふうに感じ、そして、なるべく早くこれは公表をし、そして状況についてお知らせする必要があるなと感じた覚えがあります。

○本多委員 じゃ、その最初の報告から四月二日に発表するまでの間、細かい事実確認をされましたか。

○小野寺国務大臣 済みません、事前の通告があれば記憶を呼び起こしておきますが、とにかく、私としては、これは国会への御報告やあるいは国民への公表について速やかにしなければいけない重要なことだと認識をした覚えはあります。

○本多委員 いや、その四月二日の発表が、私は聞いた瞬間におかしいと思ったんですよ。なぜおかしいと思ったかというと、二つの場所から見つかったと私は説明を受けました、官僚の方から。情報本部と衛生部というところで見つかったと。(小野寺国務大臣「研究本部」と呼ぶ)研究本部、失礼しました。研究本部と衛生部で見つかったという報告を受けたときに、じゃ、最初に見つけたのはいつなんだと聞いたときに、両方わからないんだったら、私ももしかしたらだまされたのかもしれないんですけれども、衛生部の方だけ何月何日と言われたんですよ。研究本部の方は、わからぬと言われたんですよ。わからぬって何なんだ、研究本部、最初にその担当者が見つけたのはいつなんだと言ったら、もごもごと言っていたわけですよ。  こんな基礎的な、一番最初どこで見つかったのか、つまり、そこから大臣の報告まで、三月三十日ですから、それは当然、大臣、関心ある、持たなきゃいけないところだと思うんですよ。それを確認せずに、その二日後に、去年から発見していましたということが明らかになったんですよ。私たち、二回に分けて説明を受けて、私たち、一回目の四月二日の説明が虚偽だと思っているんですよ。気づかずにやってもとんでもないし、気づいてやっていたらうその報告ですよ。  これを、我々野党に二日おくれたというのは、もしかして何か意図があったのかもしれませんが、大臣の報告のときに、最初に研究本部で見つけたのはいつなんだ、何で衛生部だけわかっていて研究本部だけわからないんだと、私が最初に見てヒアリングのときにしたような質問を小野寺大臣、感じなかったのかという、私は強い疑問があるんですけれども。

○小野寺国務大臣 ちょっと今、記憶を呼び起こしましたが、その日、三十一日の午前中、部隊視察に行く予定で、私はもう予定があったので、その報告を受けて視察に行くことにしましたが、官房長も同行するはずだったんですが、官房長をすぐに残して、そこで、しっかり状況を調べて対応しろということで指示をさせていただきました。  そして、今、本多委員がお話ありましたが、私も不思議に思いました。おかしいなと思ったので、なぜ、去年の二月から三月に当時の稲田大臣が調べろと言ったのに、そのときに出てこなかったのか、どうして今回出てきたのかということについて確認をする意味で、官房長に指示をし、そして、その結果、指示をしたのは、三十一日に、土曜日に午前中私は聞いて、調べろということで官房長に調べさせました、その調べた状況がある程度公表できるところまで来たので、官邸に御報告をした上で、四月の二日の月曜日に公表いたしました。  公表すると同時に、やはり、今、本多委員が言ったように、どうもこの過程は変だなと思ったので、もう一度調べろということで調べさせたら、四月の四日の午前中だと思いますが、実は、昨年の三月二十七日の時点で、陸幕の研究本部では、そのイラクの日報が既にあって、そして、それを今まで公表の過程に、上に上げてこなかった。  逆に言えば、当時の稲田大臣には報告せずにずっと黙っていたということがわかったものですから、これはもう完全な、正直言って大変な問題だということで、その事態を細かく調べなきゃいけないと判断をし、その日のうちに大野大臣政務官に調査チームをつくるようにお願いをしまして、そして、なぜこの三月二十七日の、イラクの日報の文書がわかったにもかかわらず、それを公表、当時の稲田大臣にしなかったのか、そのことについて、今、鋭意調査をしてもらっているところだと思います。

○本多委員 いやいや、四月二日の報告を聞いたときに、私たちは、まさか稲田大臣のころに発見されているなんて全く思わなかったんですよ。最初の報告を聞いたときは、一元化の過程で出てきましたと。衛生部は、一月何日ですと日付を教えていただいたんですよ。ですから、その研究本部もまだはっきりわかっていないけれども、何かうさん臭いなと思ったんですよ、そこだけ言わないので。ただ、一月とか十二月とか、そういう日付が出てくると思ったんですよ。それが、二日後には、何と去年の三月にわかっていたという。  こんな大きな乖離が、私が大臣に聞きたいのは、残念ながら報告なんて遅きに失していると思いますけれども、一度三月三十一日に聞いて、四月二日に全国にこんなことを公表するこの間にでも、おかしいじゃないかと確認をしてから発表すべきだったんじゃないんですか、これは。

○小野寺国務大臣 まず、三月三十一日には、たしか、この一元化の過程の中で、こういうものが見つかったかもしれません、見つかりましたということが来たので、私もその過程がよくわかりませんし、対外的に言うためには再度確認をしないといけない。土曜日の午前中ですから、やはり官邸に報告した上で公表といえば、月曜日の朝、午前中にするという、そのぐらいの時間は確認も含めて必要ではないかということで、官房長を出張に同行させずにその作業に充てました。  そして、四月二日月曜日に公表する過程におきましては、私もその段階で、ことしの一月の時点の集約の中でこのイラクの日報がわかったというふうに聞いたので、それは本多委員と同じなんですよ。  そのままの状況で一応公表することにしたんですが、やはり、その公表する中で疑問がありまして、なぜだろうということで聞いて、それが三月二十七日を、去年ですが、わかっていたということが、報告があったのは四月四日であります。  ですから、その日にすぐに公表して、こういうことに対してはちゃんと疑問を解くように、大野政務官にチームをつくっていただいたという、その日のうちに全て対応したということであります。

○本多委員 これは、四月二日のときに、本当に官僚サイドは三月にわかっていたことを知らなかったと思われますか。

○小野寺国務大臣 少なくても四月二日の時点では、日報の集約過程で、たしかあのとき、一月とか二月とかそういう説明がありましたが、少なくても、ことしになっての、確認があって、いろいろなことを調べながら、ここになりましたという報告がありました。確かに時間がかかったという印象はありますが、それにしても、その時点では、私どもの認識としては、その一月ぐらいの時点だったと思います。  ただ、正直私は、これはちょっと、なぜそうなったんだろうと。私が一番腑に落ちないというか、感じていますのは、四月二日に、これは、去年、稲田大臣のときに、二月、三月にないと言ったのがどうして出てきたんだ、この時点は何がどうなったんだということを再度確認しろということでお話をしたら、二日後に、実はこの三月二十七日に既にというふうにぽんと出てきたわけです。  ですから、そういう意味では、やはり明確な指示を出すということ、これは、今回のいろいろな調査に関しては、やはりこの指揮命令系統では大変重要なことなんだなと思いました。

○本多委員 小野寺大臣の仕事は、人の命を預かる自衛隊、そして我々国民の命を預かる大切な仕事なんですよ。それで、四月二日の後に調べて、俺が何か怪しいと思って調べて、四月四日に真相を暴いたといいますが、残念ながら、私たちの立場から見ると、四月二日に、野党もがん首並べて各党いろいろなヒアリングをしました。合同でもしました。そのときにインチキな説明をされたということなんですよ。  こんな段取りの、二日たったらすぐわかるようなことを、一度うその説明をされたというのは、すごく私は、結果わかったからいいじゃないか、二日後に明らかになったからいいじゃないか、そんな簡単な話じゃない。ちゃんと、大臣が知ってからの二、三日の間でも、私でさえ気づいたんですから、この本部で、研究本部というところは誰が最初に発見したんだ、衛生部だけ何で日付がわかっているんだ、こういう具体的なことを、これぐらいのことぐらい詰めてから四月二日に発表すべきだったと私は思っています。  それで、この四月だけでも私はおかしいと思うことは幾つかあるんですよ。実は、三月じゃないですよ、この四月ですよ。  例えば、この国際活動教育隊、ここでたくさん日報が出てきました。このことは、例えば、すごく大事な事態だと思うんです。さっきの大臣のこの読み上げの文書に入っていないのはなぜですか。

○小野寺国務大臣 済みません。これは、当然事務方とともにつくったということですが、ちょっと担当した、文書課長でしょうか、参考人が、きょう認めておりませんので、調べて御報告をさせていただきます。

○本多委員 いや、私、実は通告をきちんとしております。  この国際活動教育隊の話、辻元議員がそもそも昨年の二月の十七日の予算委員会で国際活動教育隊の資料を委員会に提出をして、ここに日報という言葉が入っているじゃないか、国際活動教育隊には日報があるんじゃないかと、具体的に場所を示して、日報があるんじゃないかということをしたのに対して、ないと。資料をつくった後に捨てているという答弁をしているんです。  そのときの答弁はいいんですけれども、そのときの答弁も大問題なんですけれども、この国際活動教育隊の話が、四月に入ってから、野党への説明ペーパーに一枚も出てこないんですよ。勝手に記者会見では言っているんですけれども、我々の資料にこの問題は何で出ていないんですか。そして、この今の大臣所信には出ているんですか、どこかに。

○小野寺国務大臣 国際活動教育隊における日報の保管ということだと思います。  これは、昨年二月に辻元議員から陸上自衛隊の国際活動教育隊が収集した日報についての資料要求があった際に、保有していない旨を回答して、国会においても同様にお答えした上で、国際活動教育隊が日報を当時から保有していることが確認をされたということです。これは私の方から公表をさせていただきました。これは、当時の正確性を欠く答弁や資料要求への対応は、不適切だと思っております。  これらを詳しく御説明すると、昨年二月十六日の辻元議員からの当日中を期限とする資料要求を受けて、人事教育局から陸幕を通じて国際活動教育隊に急ぎの問合せをしたところ、国際活動教育隊においては日報は用済み廃棄とされているとの認識があり、十分な探索が行われずに、保有していない旨回答したことが判明しております。  このような認識のもと、その翌日の二月十七日に行われた衆議院予算委員会において、辻元議員からの同趣旨の質問に対して、その前日の資料要求に対する回答と同じく、国際活動教育隊は日報を保有していない旨の答弁が行われたというのが経緯だと思います。

○本多委員 何か、この国際活動教育隊のこともしっかりとスポットを当てて、大臣の先ほどの文書の中に入っていなかったと思いますので、きちんと入れてください。大事なテーマの一つなので、きちんと入れて。  それと、私、きのうも指摘しているんですよ。記者会見で言っているんですから、別に隠蔽していないのはわかるんですけれども、野党のヒアリングの紙にこの話は載っていないんですよ、ずっと。何か、この話をなかったことに、ここに一番たまっていたわけです、日報が。イラクはないかもしれないですけれども。  だから、ここのことをしっかりと、ここの経緯、辻元さんに、一日とかいいますが、場所を指定して頼んでいるんですよ。きちっと、誰がその電話で保管していないと答えたのかとか、そういう具体的なことも、これは大野チームでこのこともやっていただけるという認識でいいですか。

○小野寺国務大臣 ただいまの本多委員の御指摘でありますこの国際活動教育隊のことに関しては、委員会のお許しがいただければ、きょうの私の発言の中に加えさせていただければと思っております。  そして、野党チームというんでしょうか、あのレクチャーの中で、資料の中に入っていないということでありますから、そこは丁寧に、しっかりその国際活動教育隊についても入れさせていただくということにいたします。  また、このことについては、私ども、その経緯について、中で今調べておりますが、今、大野チームが特化してやっていただきたいというのは、やはり、三月二十七日に、どうして、わかっていたにもかかわらず、陸自の研究本部にあったものを当時の稲田大臣まで上げなかったかということについて、そこをまず中心に早く探索してほしいということでお願いをしておりますので、まずその結果を待ちたいと思っております。

○本多委員 じゃ、調査チームの話にいきますけれども、何でテーマをそんなに絞るんですか、勝手に。まず広くやって、どこが焦点なのか、いや、私も、その去年の三月二十七日にあることを知っていたのになぜ隠したのかもきちんと調べていただきたいですよ。しかし、私たちは知りたいことがもっとあるんですよ。  一月に発見されてから二月までのおくれ、二月の頭に知ってから大臣への報告のおくれ、私なんかからいえば、四月に入ってからのいろいろな不手際、こういうの全てにわたって、きちんと調査すればいいんじゃないんですか。せっかく、この際うみを出すと言っているんですから。  何で去年の三月二十七に絞る、辻元議員の具体的に絞った、これに何で的確に答えられなかったのか、こんなことも調査に入らないんですか。

○小野寺国務大臣 まず、私ども一番重要視しているのは、確かに全てに関していろいろな問題がありました。ただ、一番重要視しているのは、昨年三月二十七日にイラクの日報の存在がわかっていたにもかかわらず、そのわかっていた認識がある中で、当時の稲田防衛大臣を始め上の方に報告をしなかったということ、これはまず大変重要なことで、なぜそうだったのか、そしてどの範囲で、認識しても上げなかったのか、これをまず最優先で私どもとしては対応させていく、これが大事だと思っております。  全体の過程に関して問題がなかったのかというのは、これは防衛省全体としての反省でありますし、先ほど辻元議員に関しての説明についても、これは、まず丁寧に説明をさせていただく中で、おわびも含めてさせていただきたいと思いますが、私ども、まず、この昨年の三月二十七日の陸自の研究本部の案件を優先して調査をしたいと思っております。

○本多委員 いや、私は、勝手に優先事項を決めないで、ことしに入ってからの事項、例えば、鈴木さん、来ていらっしゃいますよね。鈴木さんが知ってからのこの一カ月、鈴木統幕総括官は、精査をしていた、ほかに漏れがないか、ほかにもないか調査していたと言うけれども、真っ赤なうそだと思いませんか、大臣。  この一カ月間、森友でもめ、予算の審議をしている。私たち、いろいろな疑いがありますけれども、彼の言いわけは、ほかに漏れがないか空自や海自にも聞いた。しかしですよ、その三月の後に、この国際活動教育隊の話も出てくる、情報本部も出てくる、空自も出てくる。三月、何をやっていたと思いますか、これ。

○小野寺国務大臣 本人がそこにおりますし、結局その間対応する責任者でありますので、聞いていただければいいと思いますが、少なくても私の認識では、確かに、私ども大臣に上げるときに、当然私どもとして、これで何ページぐらいあるのか、内容はどうなのか、途中はどういう内容なのか、今まで国会に対してどんな説明をしてきたのか、情報開示請求に関してこれはちゃんと応えているのか、多分そういうことをいろいろ私ども当然聞いた上で、この問題の重要さというのを認識すると思います。  恐らくそれを準備したというふうに認識はしているとは思うんですが、少なくても、まず、こういうのがありましたと、あったことがわかれば、その第一報を上げてくるというのが、これは適切だと思いますので、そこは、この事案が発生してすぐに、なぜこんなに遅かったのか、第一報はまず初めにすべきではなかったかということを厳しく指導いたしました。

○本多委員 いや、私、実は、昨年の三月にわかったけれども出さなかった理由というのは、これから調査してもらえれば、知りたいですけれども、あのころは、稲田防衛大臣自体が、いや、特別防衛監察で曖昧にされましたよ、打合せであったことを公表しないことを認めたかどうかというのは曖昧になりました。ああいう曖昧な決着だったんだけれども、いろいろ情報隠しが行われていた時期なんですよ。  あのころの問題も大事ですけれども、私は、鈴木総括官が、去年のあんな、防衛省を揺るがして、非常に自衛隊の皆さんも防衛省の皆さんも嫌な思いをした、あの経験をしたのに、あの経験をしたことしに、なぜ三月にこんなものが見つかって一カ月もほったらかしにしたのか、こっちの方が問題だと思っているから。  それを調査チームのテーマにも入れず、ましてやその一番張本人の鈴木さんが調査チームに入っている。こんなのおかしいと思うんですけれども、どうですか。

○小野寺国務大臣 まず、今、大野政務官が行っている調査チームというのは、昨年の三月二十七日に陸幕の研究本部にあったイラクの日報の文書が、これがあったことをなぜ当時隠していたかということ、これは、これを調べる調査チームはこの当時かかわりのなかった人がやるのが当然です。鈴木総括官は、その当時はこれにかかわっていることはありません。  そして、統幕に上がって私に説明があるまで約一カ月という時間がありました。この期間、何がこんなに時間がかかったかということ、私はすぐに報告をすべきだというふうに思っておりますが、なぜかかったかということは、きょう、本人が来ておりますので、直接聞いていただければ一番ありがたいと思います。

○本多委員 その言いわけは何度も聞いているので、大臣がそれでいいと思われるかどうかという形で質問をしています。  私は、やはり、去年、特別防衛監察をああいう曖昧な形で決着をさせたことは本当に、御努力いただいた官僚はいるんでしょう、しかし、あれをやっている人がまたチームに入っているんですよ、小波さん、本当に防衛省の中の皆さんが納得いく形だったのか。稲田大臣は、本当に情報の隠蔽に了承を与えなかったのか、黙認をしなかったのか、それを曖昧なまま辞任をした。それから、一応責任をとってやめた形にした事務次官は、今何か、内閣官房でNSCの参与をやっているそうじゃないですか。こんな、責任をとった何カ月後かに内閣官房のNSCで参与なんという職を得ている。  こういう、けじめをきちんとあのときつけなかったことがこんなことを生んでいると私は思うんですけれども、大臣の見解はいかがですか。

○小野寺国務大臣 私は、当時、委員としてこの議論について聞いておりました。特別防衛監察の結果ということ、これを当時かなり議論された覚えがありますが、私は、その後大臣になりまして、特別防衛監察の結果を知り、そして、当時の当事者全員に私自身が電話なり面談をして、この特別防衛監察の結果で間違いありませんかということを確認をいたしました。全ての当事者がそのことに同意をされたという、そのことを覚えております。私としては、やはり、この特別防衛監察の結果というのを大変重いものと受けております。  それから、今、黒江前事務次官のお話がありました。これは私ども防衛省の所掌ではありませんので、私からコメントは差し控えさせていただきます。

○本多委員 稲田防衛大臣にしっかりとこの場に出てきていただいて、もう一度あのときの事実関係をきちんと把握をすること、それから、稲田さんがかかわった去年の特別防衛監察では曖昧にされた、情報隠しを黙認したかどうかのところをしっかりと資料も提出をすることをお願いをして、私の質問を終わります。  以上です。