一刻も早い脱原発のためには、風力、太陽光、地熱など再生可能エネルギーの大幅な拡大が不可欠です。これまで原発推進の陰でこの分野への政策は後回しにされてきました。また、省庁の縦割りで風車を農業や海上に設置しようとすると農地、漁業保護の農水省、地熱発電所の建設には、国立公園や温泉保護の環境省などの抵抗が入ります。こうした抵抗を乗り越え、2012年7月からスタートした再生エネルギーの固定価格買い取り制度の導入で、民間企業にしっかり利益をあげてもらいながら再生可能エネルギーの拡大に全力を尽くします。
総理の被災地視察にたびたび同行、官邸では被災地の声を聴く窓口の役割を果たしました。
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野田総理とドイツのメルケル首相との会談に同席
太平洋戦争末期の激戦で約二万人二千名の日本兵が亡くなった硫黄島。約半数のご遺骨が未還のままです。民主党政権で総理直轄のチームをつくり、集中的に事業を実施、2010年度822柱、2011年度344柱のご遺骨の帰還を実現することができました。本多も5回にわたり硫黄島へおもむき、また米国での調査で「新資料」を発見するなど、チームの先頭に立ちました。
14年連続で3万人を超える自殺は、大きな社会問題です。総合的な対策を新たにまとめて推進しています。このままいけば、2012年は15年ぶりに3万人を割れそうです。
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蓮舫大臣のもと、ムダ使いの温床、特別会計を仕分けしました。特に問題の多かった社会資本整備特別会計の廃止を決定するなど17あった特別会計を11に減らす法案を国会に提出することができました。
枝野、岡田両幹事長のもと、副幹事長として、党内調整や陳情窓口などを担当しました。東日本大震災発生後約1月間は、副幹事数名が夜間も土日もなく交代で国会内の対策本部に詰め、被災地の切実な要望を政府に伝える役目を果たしました。
党の消費者政策策定を担当しました。特に、本多が積極的に推進した「消費者事故調」が、2012年10月発足したこれまでの原因調査機関がなかったエレベーター事故などの原因究明ができるようになりました。
経済産業大臣政務官として、秘書時代の上司である枝野大臣をしっかりとサポートし、エネルギー政策の転換、経済の再生などに全力で取り組んでいます。
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