「14歳と性交」捏造発言で立憲民主を去った私 (文藝春秋2022年6月号)

本多平直
元衆議院議員




拡散された「発言」、ネットに流出した隠し録り
なぜそうまでして議論を封殺するのか?


 二〇二一年、衆議院議員の任期満了まで五か月を切った六月四日、私のスマホに産経新聞のネットニュースが飛び込んできた。 「(立憲民主党の議員が)『五十歳近くの自分が十四歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい』(以下「発言」)などとして、成人と中学生の性行為を一律に取り締まることに反対したことがわかった」

 私は驚愕した。発言の主は匿名だったが、立憲民主党の性犯罪刑法改正に関するワーキングチーム(以下WT)での私の議論について書かれているのは明らかだったからだ。

 まず明確に申し上げるが、私はこの「発言」をしていない。この五十四日後に私は、議員辞職に追い込まれることになるが、いまだにこの「発言」が存在し、それを理由に辞職したと思っている方が多い。一人でも多くの方に真実を知っていただきたいとの思いで、このたびこの記事を書くことを決めた。

 「発言」は実際にはどんな内容で、どんなやり取りだったのか。話は、産経のネットニュースの一か月ほど前の五月十日に遡る。

 WTでは四月以降、性交同意年齢の引き上げについて議論が続いていた。現行の刑法で十三歳未満との性交は、同意、恋愛の有無などにかかわらず五年以上の有期懲役が科される犯罪となる。この性交同意年齢の十六歳未満への引き上げがテーマだった。

 五月十日のWTでは、大阪大学法学研究科・島岡まな教授に、オンラインでお話を伺った。会議室にいたのはWT座長の寺田学衆院議員、WT事務局長の女性衆院議員、私の議員三名。そして党政調職員、秘書、衆院職員など数名である。オンライン参加は、議員一名と秘書等数名だった。

 WTで島岡教授は、「年齢差の大きな恋愛は絶対に存在し得ない」との趣旨の発言をされた。私は、フランスのマクロン大統領が十五歳の時に二十五歳年上の現在の夫人と出会った例にとどまらず、年齢差の大きな恋愛の例を具体的に聞き及んでいたこともあり、当事者の心の問題である恋愛について、「絶対に存在し得ない」と断言されたことに違和感を持った。目の前に実在する人間が恋愛の存在を主張しても否定するのだろうか。そこで島岡教授に質問した。

「『絶対』という表現はどうなのか。例えば、五十代の私が『十四歳との恋愛が存在している』と言っても、存在し得ないと言えるのか」  これに対して島岡教授は、一刀両断に答えた。 「あり得ません。先進国なら捕まります」

 これが「発言」の元となったやりとりである。

 さらに私は「性交同意年齢の引き上げについては、法務省『性犯罪に関する刑事法検討会』の中でも、被害者の皆さんなどは積極的だが、刑法学者や弁護士などには慎重論もある。こうした慎重論をどう考えるか」といった質問をした。島岡教授は、「ジェンダーバイアスです。十年経てばわかります」との趣旨の答えだった。的確な回答とは思えなかったが、私は特に反論はしなかった。WTが始まる前から島岡教授とは見解が異なることが想定されたため、私は意識して丁寧に質問したつもりだ。後に島岡教授を含む一部から指摘された「強い調子で怒鳴った」などという事実はない。




突然拡散された「発言」

 それではWTでの「発言」がどのように捏造され、出回ったのか。それは次のようないきさつだった。

 当該WTから二十四日が過ぎた六月三日朝、突然、立憲民主党所属の全国会議員に対してWTの中間報告案が一斉にメールで送信された。その報告案の中に問題となった「発言」が掲載されていた。

 私が初めて「発言」を見たのは、三日十一時のWTの場だった。匿名だったが、私の議論について書かれているのだと察知した私は驚き、「こうした発言をした記憶はない」「音声データを確認させてほしい」「もしもこうした発言をしていたならば、誤解を招く表現なので撤回する。中間報告案から削除してほしい」と訴えた。

 しかし寺田座長は、「発言は事実なのでそのまま記載したい」と主張した。一方で他の議員からも「誤解を招く表現なので削除すべきだ」との声があがった。

 結局、翌六月四日のWTに提出された中間報告案では、この発言は棒線で「見え消し」にされ削除された。だが、前日に一斉メールされていた文章がそのまま外部に漏洩し、産経新聞のニュースとなったのだ。




誰が「発言」を捏造・拡散したのか

 では、なぜ私の「発言」が捏造されたのか。背景に、根深い確執があるのは間違いない。

 性交同意年齢の引き上げや性交同意のあり方などを巡る法改正は、被害者や支援団体の皆さんが強く要望し、多くの推進派議員がいる。一方、法律の専門家や私のような慎重派の議員が問題点を指摘し、なかなか結論が出ない状況が続いていた。

 たとえば性交同意年齢を十六歳未満に引き上げた場合、この四月から十八歳成人であるから、十八歳と十五歳による恋愛に伴う性交でも、十八歳が例外なく犯罪者となってしまう。私はここには「例外規定」が必要だと考えていたのだ。

 ただ低年齢の場合、恋愛だと思いこまされているだけで、あとで被害に気付くことも多い実態がある。「恋愛」を犯罪の言い訳にさせてはいけないとの指摘もあった。私はそうした意見も理解した上で、なんとか例外を検討できないのかと考えていたに過ぎない。

 遡れば十年以上前からのマンガやアニメなどの性表現規制を巡る数度の論争以来、私は規制の例外の必要性を論じてきた。一律に規制を強化すべきとする議員や党事務局、外部の団体からは、「敵」に見えていたのかもしれない。

 そうした中、性交同意年齢引き上げに強い思いを持った寺田座長がこのWTをスタートさせ、引き上げ派には今度こそとの思いがあったはずだ。少数派ながら理詰めで問題提起を続け、議論の流れにも影響を与えていた私は、邪魔な存在だったのだろう。

 寺田座長は、私と同様の主張をしていた他の議員の発言についても、勝手に悪意ある要約をしてネットに掲載するなどしていた。これに私は、「そのやり方はおかしい。反論があれば会議内でするべきだ」と主張していた。しかし寺田座長は、慎重派の意見を意図的に外に漏らすことで、自分に有利に議論を進めたいとの思惑を隠していなかった。

「発言」が多くの方を傷つけ、党に迷惑をかけたというなら、一斉メールされた文書は寺田座長名なのだから、彼に最終責任があることは明らかだ。また、実際に発言を捏造した者もその責任を取るべきだろう。




なぜ私は「発言」を認めたのか

 ネットニュースを見た私は、すぐに福山哲郎幹事長(以下、肩書は当時)に電話で相談した。福山幹事長からは、実名報道ではないので状況を静観するよう、具体的には「党の顧問弁護士と相談せよ」との指示があった。

 私は発言した覚えがないので、「とにかく音声データを確認させてほしい」と強く申し上げた。音声データについては顧問弁護士が党職員に聴取したが、「有無が不明」、「存在しない」、「存在するが聞かないほうがいい」などと回答が二転三転していたという。

 ところが、事態はさらに悪化していく。六月七日夜、福山幹事長や顧問弁護士と対応を協議している最中、朝日新聞の記者から翌日の朝刊で実名報道するとの連絡が入った。私にマスコミ対応が迫られることになった。ここで福山幹事長が提案したのは、「発言」をそのまま認めて謝罪し、穏便にことを収めるというものだった。

 私は動揺した。発言した覚えもなく、音声データの有無さえ不明のまま、「発言」を認めることなどできないと思った。しかし福山幹事長はこう言った。

「言った、言わない、の議論になれば、あなたが不利だよ」

 この時点で福山幹事長は、謝罪で問題は鎮静化できると判断していたのだと思う。

 私は「発言」を認めれば、多くの方が嫌悪感を抱き、性犯罪被害者やフェミニストの皆さんなどから強い反発を受けることは、当然想像がついた。その一方で、この「発言」が仮に事実だったとしても、法律議論の途中で、幅広く、時に極端な例まで用いて議論することはある意味当然で「何が問題なのか」と私自身が感じていたことも、「発言」を認めてしまった一因だ。

 さらに言えば、この「発言」は前後の脈絡がないため、複雑な法体系の下では幾通りにも解釈が可能だ。

 性犯罪に関しては、刑法以外に全都道府県にいわゆる淫行条例が存在していて、刑法より広く十八歳未満への性行為を処罰対象としている。広い年齢を対象とする一方で、いわゆる「真摯な恋愛」がある場合などを処罰対象から除外している。「発言」はこの点では現行法に沿っている。しかし、実際に「真摯な恋愛」が認められるハードルは高く、「発言」のような大きな年齢差の場合で処罰を免れることはまずあり得ない。

「発言」は、こうした条例の運用実態がおかしいという意味にもとれる。しかしこれは、私の思いとは異なる。なぜなら、淫行条例がすでに存在し、厳しく運用されていることが、私が刑法での性交同意年齢の引き上げの必要性に疑問を持った理由の一つだからだ。

 これ以上、存在しない「発言」の解釈は述べないが、そもそも真意が不明確な「発言」を一方的に批判できるはずがない。私はこうした点をきちんと説明すれば、理解を得られるのではないかと考えていた。




果たせなかった説明責任

 そこで私は、「発言」を認めるにしてもせめて記者会見をしたいと申し出た。しかし、福山幹事長はこれにも強く反対した。

「火に油を注ぐのでやめたほうがいい。どうせ本多さんは、何でも反論するでしょう」

 私は結局、会見も断念した。心理的に動揺する中、政治家としての危機対応に不慣れだった私は、結局スキャンダル対応の経験が豊富な幹事長の意見に従ってしまった。

 冤罪事件で、やってもいない犯罪、まして殺人などを自白してしまう状況がリアルには理解できていなかったが、まさに自分がそうした状況に陥っていたのだ。今思えば穏便にことを収めようと事実でない「発言」を認め、さらに政治家として説明責任を果たす機会や義務を放棄したことは、私の過ちであり反省している。

 福山幹事長は、枝野幸男代表とも相談し、その晩のうちに謝罪コメントを出すこと、その場で幹事長が私に対し厳重注意することが決まった。その時私が出したコメントのポイントは、以下の通りだ。

「性犯罪に関する刑法改正の必要性は認識しています。刑事処罰の議論には、限界事例の検討、特異な例外事例の存在など緻密な検討が必要と考えましたが、私の発言は例外事例としても不適切であり、お詫びして撤回します。誠に申し訳ありませんでした」

 翌六月八日、朝日新聞の実名報道の後、衆院本会議場の出口で私は、待ち構えていたテレビカメラの前で昨晩のコメント同様のお詫びをした。質疑応答には応じないよう福山幹事長から指示されていたので、短時間でその場を立ち去った。

 その後の嵐のような批判は、とてもすべてを直視することはできなかった。特に「発言」を私の願望と捉えて「ロリコン」などと揶揄するネット上の書き込みについては、断片的にしか知らない。

 また日頃から主張に共鳴することも多かった、いわゆるリベラル系の有識者からの厳しい批判は、今でも納得がいかず残念だ。一方、性犯罪の被害者の方から頂いた切実な怒りや、被害の実態を知ってほしいというメールなどにはできる限り返信し、誠実に対応したつもりだ。




不可解な党内の動き

 しかし、事態はこれでは収まらなかった。報道やネットの反応は少しずつ沈静化していったが、周囲の反応は逆にエスカレートしていったのだ。私は自分の選挙区で、支援団体や地方議員などへの説明を続けた。ただ、自分に落ち度のある不祥事なら潔い謝罪もできたが、事実関係にも批判の中身にも納得していない中で、言い訳がましく捉えられることもあったと思う。支援組織から「このままでは選挙は戦えない」との声が出ていると聞いた。

 党幹部からは、私の選挙区に別の公認候補を擁立するという、私の政治家としての未来を閉ざしかねない考えを示唆され、愕然とした。この時点で将来の復活の可能性を残した何らかの提案があれば悩む余地があったのだが、それもなかった。

 そして謝罪から一か月近くが経ち、東京都議選も議席増で乗り越えた後に、再度私に離党を迫り、応じなければ厳しい処分をすべきとの発言が党幹部から出てきた。改めて事を荒立てようとする党内の動きの背景は、今でも正確にはわからない。「発言」を認めさせた以上、最後まで私を擁護すべき福山幹事長の態度も、徐々に冷たくなっていった。私は改めて、筋論で党と闘う以外にない状況に追い込まれていったのだ。

 この間、枝野代表は、「発言」の事実関係の調査と再発防止策の検討を党の「ハラスメント防止対策委員会」(以下ハラスメント委員会)に依頼した。党内でのパワハラやセクハラなどへの対応機関になぜこの件の調査を依頼するのか、私には判然としなかった。

 ハラスメント委員会からの事情聴取は、金子雅臣委員長の他、三名の弁護士からオンラインで一回、金子委員長との対面が一回だった。WT担当の党職員、つまり当事者である職員が、委員会の事務も担当したり(私の要請で外れてもらったが)、私への事情聴取の場なのに、委員の女性弁護士がジェンダー問題で自説を展開するなど、嫌な予感がした。




「ハラスメント委員会」のでたらめ

 七月十二日、ハラスメント委員会の報告書が党に提出された。その内容は、私にとって青天の霹靂ともいえる、憶測による決めつけにあふれるものだった。ここでは数点に絞って指摘する。

「発言」の事実調査が目的だったはずが、「本多議員のパワハラ問題」という表題のもと、例えば「今回のヒアリングでも内外を問わず、多くの人たちが本多議員の日頃の言動の問題点について触れている」とある。ヒアリングの対象者は数人だったはずだが、「多くの人たち」とは誰なのか。「外」の方がなぜ私の日頃の言動をご存じなのか。

 また「外部講師には非礼を超えた不快感や嫌悪感、場合によっては暴力的とも言われる威圧的な対応がとられていた」としている。被害の申し出も、日時の特定も、音声データなどの証拠も、誰の証言かさえ明らかにしないまま、「暴力的」などと悪質な決めつけを行っている。私には何について言われているのかさえ思い当たらない。寺田議員とは、役員の選定、講師の選定(結局、性交同意年齢引き上げ慎重派の講師は、一人も呼ばれなかった)、議論期限の一方的な設定など、あまりに強引なWT運営を巡って激しい議論をしていたのは事実だ。しかし、WT座長との政治家同士の議論がハラスメントとでも言うのだろうか。

 さらに、三年も前の性犯罪WTでの外部参加者と私のトラブルに言及している点が、極めて不自然だ。これは、会議に毎回、議員同様に出席していた三名の「ジェンダー法研究者」を名乗る外部出席者に対して、私が出席の根拠などを問うた一件だ。この時私は、外部出席者ではなく出席を認めた議員と議論すべきだったのだろう。反省すべき点はある。だが、なぜ三年前の別件を突然持ち出すのか。ましてヒアリング対象者はこの出来事を直接知らない。ヒアリング対象者以外の事務局などがこの報告書作成に関与していたことも疑わざるを得ない。

 極めつけは私について、「認知の歪み」だの、「『小児性愛者的』な性的な視線のありよう」などと、人間の本質にかかわる事実無根の決めつけを行ったことだ。オンラインでたった一回面談しただけの弁護士たちから、事実ではない「発言」と、わずか数名へのヒアリングだけで、こうした決めつけがなされたことは、今でも空恐ろしい。この報告書こそ、私へのハラスメントそのものだ。

 しかも報告書では私の「発言」について、音声データが存在しないことを認めた上で、次のように変遷していた。

「五十代の私と十四歳の子とが恋愛したうえでの同意があった場合に罰せられるのはおかしい」

 よく読んで頂きたい。「性交」の文言が消え、「恋愛」が加わっている。念のため申し上げるが、このおかしな日本語も私の発言ではない。ただ、私への偏見と敵意に満ちた報告書すら、あの「発言」を認定しなかった。やはり捏造だったのだ。

 その後、「性交同意年齢の話をしていたのだから、性交という言葉があったかどうかは本質ではない」という批判もあったが、論理的ではない。十四歳と成人の恋愛が在り得るか議論することは、それによる性交を罰する、罰しないとは別の問題だ。恋愛があれば、何歳相手でも性交していいなどという考えは私にはない。




枝野代表からの離党要請

 ハラスメント委員会の報告書が党に提出された七月十二日夜、私は枝野代表にホテルの一室へ呼び出された。部屋に入ると、党の秋元雅人事務局長もいた。会談は当然、政治家二人だけだと思っていたので、悲しくて残念だった。そして私は、改めて事務局がこの件に深く関与しているとの確信を強くした。

 枝野代表は冒頭、完成した報告書の内容も示さないまま、その内容が私にとって厳しいことを告げた。そして思いつめた表情で、しかし断固たる口調で私に離党を求めた。

 党内の政策論議での、まして事実と異なる「発言」を理由にした理不尽な離党要求。さらに言えば、正式な党の調査機関とは言えないハラスメント委員会の調査をもとにした上に、調査結果の提示すらないという手続き無視の要求に、私はまったく承服できなかった。

「離党する気はありません」

 自分が要請すれば応じると思い込んでいたのだろうか、枝野代表は突然強い口調で退席を迫った。

「お引き取りください」

 私はその求めに応じず、この間の思いを一通り伝えた。しかし、議論が噛み合うことは最後までなく、私はそのままホテルを後にした。

 私と枝野代表とは長い歴史がある。私は一九九四年から枝野議員の政策秘書を十年間務めた。枝野議員が注目されるきっかけとなった薬害エイズ事件などにも共に取り組み、私が選挙に出た以降も含めれば三十年近く政治行動を共にしてきた。

 枝野議員は、マンガ、アニメなどの性表現規制についても私同様の主張を続けてきたし、弁護士なので刑法改正議論の論点も理解しているはずだ。「発言」報道の直前にこの問題について話した際には、私の主張に共感を示していた。福山幹事長、事務局、支援団体などから何を聞き、立場や考えを変遷させたのか、私にはわからない。

 ドライな人で、近い人間を優遇しないタイプだったが、今回の判断が「身内に甘い」との批判を避けるためだったとすれば、それもまた人の眼を気にした道理に反する行為だと言わざるを得ない。党のトップとして「総選挙のためにやむを得ず」というなら、率直にそう言ってほしかったが、それもなかった。






「党員資格停止一年」の処分

 翌七月十三日、自主的な離党を拒否した私に対して、立憲民主党の常任幹事会で「党員資格停止一年」という重い処分が決定された。次の総選挙には公認しないという判断だ。「ジェンダー差別の本質について認識を欠く」「被害者の皆さんなどを傷つけるおそれを含んだものであり、配慮が著しく欠けていた」「国民の期待と信頼を著しく損ねた」などの理由だった。

 ただ、こうした処分を批判し、私を擁護してくれた議員も複数存在した。総選挙が迫る中、代表主導の決断に異を唱えにくい空気があった。また私を擁護すれば、「お前も同類か」などの中傷があり得た。今も心から感謝している。

 その後、私の処分は倫理委員会で審査された。私がついにネットで対外発信を始めたこと、ハラスメント委員会の報告書が、一般の方から見ても問題点が多いこともあり、処分への批判がネットなどにも出始めた。私個人の問題ではなく、「立憲」を掲げる党のあり方そのものにかかわるとの主張や激励は、憔悴しきった私の支えだった。私は我が身の問題を超え、国会や党内での言論の自由を守るためにも、最後まで党と戦う決意を固めていた。

 後からだが、倫理委員会が「党員資格停止一年」は長すぎるので短縮を検討するように、常任幹事会に答申する予定だったと知った。しかし、倫理委員会の答申と、それを受けての常任幹事会の最終判断の前日、私は「発言」とはまったく別の理由で、離党を決断することになる。




寺田議員との会話が流出

 七月二十六日、私はインターネットを見て、茫然とした。寺田議員と私が二人だけで話したやりとりが、ネットに掲載されていたのだ。

 このやりとりは、「発言」があったとされるWTの直後五月十三日に、私から寺田座長にもちかけ、WTの運営について話をしたものだ。その内容の一部が、録音データの存在を明記した上で示されていた。倫理委員会に寺田座長が提出した意見書だという。政治家二人きりの内々の会話が、了解もなく密かに録音されていたのだ。

 寺田議員が騒動以前になぜこうした録音をしたのか。理由は不明だが、このタイミングでこの会話を公にしたワケは推察できる。このまま「発言」の捏造が明らかになり批判が集まれば、寺田議員自身や関係者の責任が問われる。それを避けようと、WTでの発言とは別のところで、私を貶める必要があったのではないか。

 やりとりの中で、私は率直に性犯罪の判決や被害者支援団体の問題点なども指摘した。隠し録るくらいだから、誘導尋問をされていたかもしれない。公式の会議では言いにくい内容だからこそ、私から依頼して二人だけで話したのだ。それがこうして明らかになれば、にわかには多くの方の理解は得られず、批判を受けかねない内容もあった。特に特定の団体への行き過ぎた言葉については、改めてお詫びしたい。

 私はこの会話の流出を受けて、離党と議員辞職を決めた。犯罪の告発でもない限り、隠し録りの内容で政治家が辞める前例など作るべきではないと思ったが、もはやそれを主張できる状況ではなかった。さらに説明や議論をすれば、性犯罪被害者の皆さんを傷つけかねず、党にも大きな迷惑をかけることになる。ここまで追い込まれること自体、政治家として力が足りなかったのだと思うに至った。最後まで堂々と処分の是非を巡って党と争いたかったが、力が尽きたのだ。

 七月二十七日、最終的な処分決定の日の朝に私は自ら離党届を提出した。私は比例代表で当選していたので、翌二十八日に衆院議員も辞職した。その後、立憲民主党は私の選挙区に新しい候補を公認した。選挙区で苦労しながら数を増やした私のポスターが、あっという間に別の人のものに張り替えられていくのを見るのは、断腸の思いだった。

 十月三十一日の衆院選、立憲民主党は議席を減らした。私に対する党の対応が、敗北の要因だったと言うつもりはない。ただ、有識者からは「デュープロセス(適正手続き)の無視、恐怖政治。ガバナンスを欠き、掲げる『立憲』にも『民主』にも、リベラルな価値にも反している」「発言内容や処分決定を含め過程には不明確な点もある」「もう立憲民主党を応援できない」などの声も上がっていた。自由な議論を認めない、仲間を守らない、一部の世論に迎合するといった、今回の件で残念ながら私が痛感することになった党の体質を、有権者が感じ取っていた面もあったのではないかとは思う。




党を蝕んでいた「体質」

 今回浮き彫りになった党の問題点をさらにいくつか指摘したい。私は日本には厳然として男女差別が残り、その解消は最重要課題の一つだと考えている。実際に医大入試女子差別問題などにも取り組んできた。しかし問題提起や一つの発言すら、ジェンダー差別などと一方的に決めつけ、個人を葬り去ろうとするのは行き過ぎではないか。党幹部や議員のみならず事務局にも、こうした潮流が入り込んでいたのではないか。さらにそうした事態に気付いても、事務局内で庇いあう体質があったのではないか。

 また、本来党が主体的に判断すべき議員の身分などについて、支持団体など外部の意向を過剰に受け止めることはなかったか。さらに、権限が幹事長やその信頼を受けた事務局長などに集中することで、党運営が独善的になっていたのではないか。

 最後に妻について触れたい。初当選同期で「職場結婚」した妻・西村智奈美は、今回の件に際して一貫して私を理解し、支えてくれた。心から感謝したい。妻だからというよりも一議員としての筋論で、同僚議員と共に出した私の処分手続きを巡る文書が批判されたり、ネットで揶揄されたり、大きな迷惑をかけた。

 その後、党代表選を経て幹事長という要職についた。「理不尽をただす」という彼女の主張は、世の中のことだと思うが、党内の理不尽をただすことにも取り組んでほしい。多忙になった彼女の分も、さらに五歳の息子の子育てなどを頑張りたい。

 また私自身はこの一月、ある無所属の国会議員から政策秘書のお誘いを受け、お引き受けした。歩き始めるきっかけを頂き、感謝している。政治一筋で歩いてきた人生、やはり政治に携われることはありがたい。今回の辛い経験を糧に、世の中の理不尽に苦しむ人を少しでも助けていきたいと今、心に誓っている。